42日法要が終了。
残るは49日の法要だけとなりました
予定表では六 七日です。
この一月半、長かったようで短かったですね。
色々と動き回っていた30日は途方もない時間間隔でしたが、やる事やった残りはあっという間に過ぎ去ってしまいました。
郵便局と銀行は書類不備だったそうで、もう一度再提出の憂き目に。
停止した口座の僅かな金額を解約するためだけなのに、とても面倒臭いですね。いくら未満は簡単にして欲しい所です。
これこそ終活で銀行口座を減らしておくのが一番だと、遺された者となって初めて実感しました。
引き落としの口座は一つだけにしておくことはマストですね。
でもこれが終われば、手続きの全てが完了します。残ったクレジットの支払いも、請求が届いた翌日に終わらせました。
今週の土曜日に早めに49日の法要をして納骨も終わらせてしまう予定です。
その後は2kmほどの場所に有る、卯辰山の六角堂でランチ会食してきます。
10日間の天気予報も、最初は雨から雪マークになって、今現在は晴れで北陸の12月としてはほぼ見られない最高気温20℃予想。
北陸特有の雷の中での納骨とかにならなくて、本当に安心しています。
お寺は加賀の一向一揆には関係有りませんでした
ちなみにお寺は北陸に多い本願寺派。石川県の本願寺といえば、加賀の一向一揆が有名ですが、
ここまでの法要後にお寺の成り立ちを伺ったところ、8代目の蓮如上人の葬儀に出られた方が初代だそうで、
そうなると江戸時代中期頃に入ってからお寺が創建されたことになります。祖父母の葬儀の時からの疑い(笑)が晴れました。
まぁ、まだ初代の住職が一向一揆に参加していた疑いは晴れてはいませんけど。
お寺は江戸時代後期に今の場所に移って来たらしく、現在の兼六園方向から金沢のひがし茶屋街へと通じる浅野川大橋からでも見えた、
大イチョウの木がシンボルだそうで、周辺の人達からはイチョウに纏わるお寺だと今でも言われているそうです。
今でも境内にはイチョウの木が生えています。そしてお寺の正門は当時としては高さが有り、
京都などと同じように加賀藩の武士の方が馬に乗ったままでも入れるように作られた、という事も今回初めて知りました。